おさらがわらった

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絵本おさらがわらったについて

同じ食物アレルギーの
お子さんをもつお母さんへ

まずは、おつかれさまでございます!と心から申し上げます。日々の生活の中での、三度三度のアレルギー対応食の献立作り、そして除去をしていらっしゃる方は、代替食の材料選びから調理に至るまで、本当に大変なご苦労のことと思います。また、アレルギーではないご家族の方とは、分けて別に食事を作っておられる方や、母乳でご自分も完全除去の生活をされている方には、特にその大変さと精神面でのご負担は、言葉では言い表せない思いです。
私の6歳の次男・加南(かなん)は、やはりこの食物アレルギーの疾患をもっています。それも症状としては重いアナフィラキシー体質です。彼がアナフィラキシーショックになったのは、これまでに4回。その都度救急車で病院に搬送されています。この絵本の対象時期だった離乳食の頃、彼にとっての抗原(アレルゲン)は、5大アレルゲンのうち低アレルギーのお米を除いた4品目、卵・牛乳・小麦・大豆に加え、お肉もお魚も、色の付いた野菜さえ殆ど食べることが出来ず、数にすると約80品目以上のものが一切食べられませんでした。目覚しい成長を続け、“生きる”ことをひたすら一日の目的としている赤ちゃんが、母乳から離乳食に移行するこの大切な時期に、殆ど何も食べることができない。こうした現実は、母親として本当に苦しくも辛い日々でした。食べるもので溢れているこの現代に、食べられるものがない、スーパーに行っても、カゴに入れられるものがないのです。・・この世に生を受けながら、目に見えない大きな力で、生きていく事を阻止されているような、脅迫観念に襲われたこともありました。私自身、精神的にも肉体的にも最も萎えていた時期でした。ですが、この頃なのです。“おさらがわらった”の絵本が誕生したのは・・・。
この時期、息子に食事を与えている時、私はいつも緊張をしていました。食事を作っている時も、食事中も、そして食事が終わった後も、ハラハラドキドキしていることに、自分自身気が付いていました。本当なら、とびっきりのママの笑顔で、お口をア〜ンなんてスプーンで食べさせてあげたい。でもその笑顔は、いつもビクビクしながらのひきつったものだったに違いありません。食べ終えた息子の顔を、何度も心配そうな顔で、覗き込んでいたのも、いつの間にか習慣になっていました。・・食べさせることが正直、怖いと感じていたのです。一度でも、我が子が死んでしまうかも知れない、そんな経験がある親なら、同じ状況をどうしても想像してしまいます。まして、それが自分の作った食事が原因ということならば尚の事、気が休まることなどありませんでした。子育てをする中で、食卓の笑顔の大切さは、長男の時に既に学んでいることなのに・・。そんな時、少しでも食事を楽しいものにしてあげたいという気持ちから、“わらったおさら”を、思い付いたのです。そして、おもちゃで遊ぶというよりは、本棚から次々に絵本を取り出してくるほど、彼は絵本が大好きだったことから、その“おさら”が登場する絵本はどうだろう、と発想を絵本に転じたのです。実はこの時期、普通のお子さんが食べられるものを、殆ど口にすることが出来なかった息子に、読んであげられる絵本がないことを感じていました。本屋さんや図書館に並んでいる絵本は、赤ちゃんや子供たちが、自分の息子にとっては食べられないものを、おいしそうにパクパクと食べているものばかり。彼にとって食べられないものを、おいしそうに楽しそうに食べている絵本は、見ていると悲しくなるばかりで、到底家に持って帰ることは出来ませんでした。そこで、食卓に笑顔の光を灯す意味で、わらったおさらを考えていたので、このおさらを主人公とした、食物アレルギーの息子でも楽しむ事の出来る絵本を作ろうと、思い立ったのです。わらったおさらの周りには、徐々に食べられるようになったもの、これからチャレンジするもの、いつかは食べられるようになるからねと、願いを込めたものをちりばめました。そしておさらの上には、ペースト状の離乳食。これはおさらの上に、何か明らかな食べ物を描いてしまうと、食べることの出来ない子供には、非現実的なものとなってしまうからなのです。私は敢えて、絶対食べてはいけないものも加えました。その代表は卵。その当時、お豆腐やくだものも食べてはいけないものでした。でも、食べられないから、単に除くという考えではなく、食べられないものも教えていく意味で、そうした食べ物たちも登場させたのです。
私の思いが通じたのか、息子はこの絵本を、本当にこよなく愛してくれました。そして、絵本から飛び出してきたおさらが食事の度に出てくると、手をたたいて喜んでくれました。そんな息子の喜ぶ笑顔に触れた時、同じ様に食物アレルギーである為に、日々食べ物の制約を受けているお子さん、そしてそのお世話をされているお母さんにも、この笑顔の輪を広げたいという気持ちになったのです。私と同じように、食事のことで一日中頭がいっぱいになっているお母さん、赤ちゃんのために母乳を続け、自分自身も除去生活を続けているお母さん、そして書店や図書館を転々として、やっぱり我が子に読んであげられる食べ物の絵本はなかったと、肩を落として家路を急がれるお母さんへ、エールになればと、私達親子だけのものでなく、この絵本とおさらを、世に送り出そうと決心したのです。ですが、この絵本とおさらは、食物アレルギーのお子さんとお母さん以外の方々にも、是非楽しんで頂きたいと思います。息子が食べられるものが殆どなかった頃、少なからず感じていた、食べられる方々からの疎外感。それと同じように、これは食物アレルギーの親子だけのものとしてしまったら、同じ気持ちを抱く方がいらっしゃるかも知れません。あの時の寂しさは、私達の絵本やおさらでは、どなたにも感じて頂きたくはないのです。
現在、離乳食期の赤ちゃんの約1割が、この食物アレルギーを疾患として持つと言われています。症状の差こそあれ、日々の暮らしの中で、食べることの出来ない我が子を抱えた母親は、本当に本当に大変な日常を送っています。この“おさらがわらった”を通して、少しでもこうした赤ちゃんや子供たちの存在、母親達の存在が正しく理解され、正しい知識の元、最大の目的であるアレルギーの治癒に向けての急速な研究が進まれることを願ってやみません。
長男が生まれて10年、次男が生まれてからは6年が経ちました。特にこの食物アレルギーの病気をもった次男を通して、私は本当に多くのことを学ぶ機会が与えられました。息子達を通して、かけがえのない私自身の人生の学びが出来たことを、この子達を尊い命の宝物として、私達のもとへ贈って下さった神様に心から感謝したいと思います。
特にアナフィラキシーショックを繰り返すなど、アレルギーの反応の強かった最初の3年間は、これほどまでに命の重さ、大切さを感じたことはありませんでした。そして、命の尊さを思い知らされる度に、親として謙虚になることも学びました。次男が重い食物アレルギーだと分かった時、「どうして自分の子が」「どうして私が」と思い続けていた時期がありました。妊娠中の食事には注意を払い、環境にも気を配っていたのに・・。どうしてこのような病気になってしまったのだろう。いつも、「どうして?」の疑問が頭をぐるぐると回り、私の心を支配していました。今思えば、その頃が一番精神的に辛かった頃だったと思います。つまり「どうして?」と自分自身に問い続けることで、現実を受け入れることが出来ずにいたのかも知れません。慣れないこともあって、手を抜く知恵も持ち合わせていなかったアレルギー対応の食事作りや、母乳を続けていることから、私自身も完全除去の生活をしていることに、正直大変だなと感じてしまう時もあります。ですが、私が最も辛いと感じるのは、いつ再び、自分の子供が同じショックの状態になってしまうか、という恐怖感がいつも拭い切れないことにあるのです。それが何よりも、私にとって受け入れ難い現実だったのです。そんな折、友人から「加南くんって、ほんとうに賢いと思う。だって、知惠さんをママに選んで生まれてきたんだもの。」というメールが届いたのです。「こんな私を選んでくれた?」読みながら、私は涙が止まりませんでした。早朝のメールだったので、その後泣きながら長男の幼稚園のお弁当を作った日のことを、私は忘れません。また他の友人は、私が初めて抑えきれずに泣いてしまった時に、ただずっと背中をさすってくれました。そして「疲れちゃったんだね。・・・でも、今こんなに知惠さんを必要としている加南くんは、きっと将来、知惠さんにとってどれほど必要な存在として、成長していることだろうね。楽しみだね。」と、現在の辛さしか目に入らない私に、遠い未来へ視点を変えさせてくれた貴重な励ましをくれました。そして、いつも私達親子を一番近い所から、優しい眼差しで見守ってくれていた友人が、この絵本の絵を描いて下さった岩間香さんです。私達の思いを、温かい絵に映して下さいました。このように、私は周りの素晴らしい友人たちに慰められ、支えられ、励まされてきました。彼女達には、食物アレルギーのお子さんはいらっしゃいません。ですが、私の気持ちの波や、心のひだまでを、自分のことのように、時には一緒に泣きながら、分かち合ってくれた友人達です。本当に幸せなことだと思います。いつも感謝の気持ちで一杯になります。
こうした友人達の存在を通して、「どうして?」ではなく、「私だから。私の子供だから。」と思えるようになった私は、この子を守り、この子の病気と真っ向から向かい合える母親として、こんな私でも、実は選ばれたのではないか、と気付くことが出来たのです。そして私の息子も、同じ様にこの病気と上手に付き合っていくことの出来る者として、選ばれた存在なのではないか、と。このことを心からそう思えた時、私はとても大きな力が与えられた事を覚えています。この絵本やおさらを思い付いたのも、この頃でした。一番精神的にも肉体的にも辛く、一番泣いていた時期でした。だからこそ、どうして私が?ではなく、私だから!と確信できた時に、起き上がるだけでなく、高く飛ぶ力さえも与えられたのだと思います。食の事に始まり、食の事で終わる自分たちの生活を送るだけで精一杯であったのに、こうして世の中に絵本とおさらを、送り出す力が与えられたのですから。本当に大きな力です。・・・自分が食事の時にわらうことが出来なかったから、わらったおさらを、どこを探してもなかったから、作った絵本。どれもマイナスから得た大きな大きな力です。
最後に、同じ食物アレルギーのお子さんをもつお母さんへ、いつもどこか心の片隅にでも、覚えていて頂けたらという思いがあります。それは、「貴女はひとりじゃない。決してひとりじゃない。」ということです。台所で味わう孤独感も、食事の度に感じる不安も、分かち合える仲間がいます。必ず。少なくとも私はその中の一人です。そして、一見マイナスにしか見えない状況も、実は大きな喜びをもたらす力との背中合わせだったりするのです。—尊い命を守り抜く食事を作り続ける。—こんなにも大切な仕事が、他にあるでしょうか。これ程まで重要な役割を担う者として、やはり皆さんも選ばれたひとりひとりなのです。食物アレルギーの子供たちは、日々尊い命を、私達母親のこの手によって繋いでいます。同じ病気の子供をもつ母親として、心から声援を送ります。全ては現在(いま)を精一杯生きる子供達の為に、そして未来を生きる大切な同じ命の為に・・。

“大切なことは、どれだけ沢山のことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです。”

マザー・テレサ